X(旧twitter)でこんな文章に出くわしました。
ただの水商売の女でしかないのにドヤ顔でブランド物身につけて街を闊歩したり、 おぢの金でタダ飯食べてる身分でしかないくせにグルメ気取りでインスタに載せたり、 おぢに金出させて身の丈に合わない港区のマンションに住んだり、 そんなものが『容姿が優れた女しか享受できない幸せ』なのだろうか。
一言で言ってしまうと、考え方や趣味や価値観は人それぞれ…で終わってしまいますが、それだと文章がつまらなくなるのであえて意見を書いてみますね。
実は水商売の人の夢の達成の一つは、趣味や生き方を特定の人たちにずるいと思わせる事であるような気がします。多分この夢は潜在的なものだと思いますが。
一見豪華な生活や趣味をただただ楽しんでいるように見えるけれど、その背後には他人の評価や嫉妬を意識している可能性があるという事です。
なので彼女たちの生き方をずるいと思ってしまう人は、まんまと彼女たちの作戦にハマってしまっている感じですね。
特定の人たちにずるいと思わせる事…と先ほど書きましたが、特定の人たちってどういう人?と聞かれそうなので書いておきますね。(個人的意見ですが)
「金品を得るには努力やスキルが必要であるのに、水商売の人たちは顔がいいだけで簡単に報酬を得ているのでずるいと感じる人たち。水商売の人たちは努力なんてしていないと思っている人たち。」(実際は、彼女たちの営業努力は凄まじいものがあると思うのですが)
さて、二者の違いですが、「ずるいと思わせる側はずるいと思う方側に「ブランドものやタダ飯に興味ないなんてつまらない人生ね。あなたたちも同じことやってみたら?」なんてあえて挑発的な事は言わない人が多いってことかもしれません。 心に余裕があるんですね、多分。
幸福感ついてですが、タダ飯+ブランドもの+素敵なマンション=幸福 みたいな単純なものじゃないと思います。金品が容易に手に入る大金持ちに幸福感を感じない人は多いし。
水商売の女性を「ずるい」と通常以上のレベルで感じてしまう人は、彼女たちよりも満足感が低いはずだし、自己肯定感も若干低いのかもしれないですね。 (個人的意見)