きゃらぶきは母の大好物。
(※魚貝類や野菜類をしょうゆで佃煮のように煮るものをきゃら煮というが、きゃらぶきは、フキの茎をきゃら煮風に煮たもの)
きゃらぶきという言葉でいつも思い出す事件がある。 今日はその事について書いてみようと思う。
あれは私が大学二年の時。1979年の10月。
台風20号が日本列島を縦断し、全国に被害をもたらした。埼玉県南東部にある私の実家のあたりも台風が通過した。
台風の影響で大学の授業が全て休講になったので、私は早目に帰宅した。
母は茶の間にいることが多かったので、すぐに茶の間に向かい、「ただいま~。台風すごいね!」と声をかけたと同時に目に飛び込んで来た光景に驚愕した。
私道に面した茶の間の窓ガラスが派手に割れており、畳の上にガラスの破片が散乱している。
茶の間の畳の上にはガラスの破片だけではなく、なんと巨大な丸太がゴロンと転がっていた。
台風による暴風で丸太がすっ飛んで来て窓ガラスを割ったのだろうと推測。
そして、何故か私道を挟んだお向かいさんのお婆ちゃんが母と一緒にガラスの破片を一生懸命に拾っていた。(私はお婆ちゃんと呼んでましたが、血縁関係はありません。お向かいの住人です)
「お向かいのお婆ちゃんが片付けの手伝いに来てくれたのね。なんて親切な!」
しかし、何で丸太が?
それは折れた枝や木の破片ではなく、紛れもなく「丸太」だった。
ガラスの破片を拾っている母を見てみると、ちょっと怒ったような顔をしている。
そして、お向かいのお婆ちゃんに「死ぬとこだったわ。これからは十分に気を付けてくださいね。」と文句を言ってる。
親切に手伝いに来てくれたお婆ちゃんに何故母はそんなひどい事を言っているのだろうか。
私はわけがわからなくなった。
後で母から事情を聞いたところ、こういう事だった。以下は母の言葉の再現。
「テレビで台風情報を見ながら、きゃらぶきをおかずにお昼ごはんを食べたんだけどね。 そうしたらいきなり窓ガラスが割れて巨大な丸太が家の中に突っ込んで来て、調度私の真横に着地したの。怖かったわ~。座っていた場所によっては死んでたかもしれない。
その丸太なんだけど、理由はわからないけどお向かいのお婆ちゃんの家の玄関の庇(ひさし)の上に乗ってたものなの。何で丸太を屋根の上なんかに乗せたのかしらねえ。前からずっと危ないなって思ってたんだけど言えずにいたのよ。」
母はお向かいさんに「お宅の屋根の丸太がうちのガラス窓に突っ込んで、危うく死ぬところだった!」と言いに行ったそう。
お向かいのお婆ちゃんが母と一緒にガラスの破片を拾っていた理由や、母が怒っていた理由はそういう事だったのだ。
後になってこの事件を思い出した時に、「きゃらぶきをおかずにしてごはんと食べていた」と言った母の言葉が可笑しくて仕方無かった。
「昼ごはんを食べていた時に」と言っても良かったのに、わざわざ ”きゃらぶきを食べていた” と言った母を、とても愛おしく感じた。
関東はいつも比較的台風の被害が小さいので、母は大好きなきゃらぶきを食べながらのんびりテレビで台風情報を見ていたのだと思う。
しかし、大好きなきゃらぶきごはんの昼食の場が修羅場のようになってしまうなんて。
以降、この事件を私は「きゃらぶき事件」と呼んでいる。
きゃらぶき事件から学んだことは、
1.屋根の上に丸太を乗せてはいけない
2.嵐の時は窓際にいてはいけない
※丸太のみならず、漬物石等、落ちたり風で飛ばされたら危険なものは全てダメですよ。