不思議な夢を見た後に、その夢の意味を解き明かしたいと思った事は誰にでもある経験だと思います。しかしながら、悔しいことに数日すると忘れてしまう場合が多いのではないでしょうか。
数日覚えていられればまだマシです。目覚めたと同時に忘れてしまう夢が殆どだと思うのです。夢は本当に儚いですね。
脳科学では、夢は脳に蓄積された記憶を結合させて作り出された現象で、そこに想像を付加したものだと説明しています。
私が見る夢の殆どは、脳科学上の夢の概念と一致するのですが、今までに二つだけ奇妙で記憶とは結びつかない面白い夢を見たことがあります。
その夢は、私の脳に何かが働きかけて、私に “見るように仕向けた” としか思えないような夢です。
最初の夢では、疑問に思っていた事を夢が回答してくれました。
二つ目はメッセージ性の強い夢で、特に知りたいと思っていた事ではな無いのに、夢が ”ある事” を教えてくれました。
どんな夢なのか紹介しますね。
1.植物の名前
今から9年ほど前のクリスマスに、友人から鉢植えの植物を2ついただきました。 いただいた時に彼に植物の名前を聞いたのですが、
「ごめん、名前忘れちゃった。花が咲いたらきっとわかるよ。」と言われました。
当時私はまだガーデニングの趣味がありませんでしたので、植物に関する知識はほぼゼロ。花を見るのは好きでしたが、植物を育てる事には興味がありませんでしたので、
名前を調べる努力はしませんでした。
どんな花が咲くのだろうと思いながらも植物の名前を知らないまま、毎日水遣りだけをしていました。
鉢植えをいただいてから2か月ほど経った頃に不思議な夢を見ました。 夢の中で誰かが
「あの植物の名前は ”くちなし” ですよ。」と言ったのです。
くちなしという花の名前は知っていましたが、実際に見た事は無いし、どんな花なのかも知りませんでした。
夢の中の声に導かれて、”くちなし” をパソコンで検索してみると、私がいただいた植物の葉とそっくりな画像が次々と現れました。 その画像の中の花は皆白く可憐でした。
さて6月になり、待ちに待った花が咲きました。
それは正に私が写真で見た白くて可憐な花 ”くちなし”だったのです。 びっくりしました。
夢の不思議…と言うよりも、この世の不思議を深く感じました。
2.赤い阿弥陀如来
この夢は2年前、お彼岸の少し前に見た夢です。
夢の中で私は、2008年の夏に亡くなった母と一緒に旅行をしていました。 団体ツアー旅行でした。
母と私はツアーグループの人達に「ショッピングセンターに行きましょう。」と誘われたのですが、母は「私は赤い阿弥陀如来を見に行きたいので、ショッピングには行かないわ。」と答えました。
そして私に「礼子はどうする?」といつもの口調で聞きました。
ショッピングにも魅かれましたが、母と一緒に赤い阿弥陀様を見に行くことにしました。
ところで私は、夢はあの世とこの世とをつないでいる場所だと思っています。
あの世のルールで母はこの世に姿を現す事が出来ないので、夢の中で私が母に会った時は、私があの世の母を訪ねている時だと思っています。
この世の住人である私があの世を訪問出来るのは、夢の中でのみ可能だと真剣に信じています。
さて、母と一緒に見た阿弥陀如来像は、鎌倉の大仏さまと同じぐらいの巨大な坐像で、
母と私を慈悲深い目で見おろしていました。その顔は真っ赤な色をしていました。
母は「阿弥陀如来」と言いましたが、私たちが見た仏様は観音様(観世音菩薩)の様に見えました。私は心の中で「うーん、これは阿弥陀様じゃなくて観音様じゃないかしら。」と思っていました。
そう思った理由は、仏像の髪型が鎌倉の大仏の様なパンチパーマでは無く、高く結い上げられていたからです。 私の中では、鎌倉の大仏様が阿弥陀如来の代表的存在になっていたのです。
阿弥陀様には見えないけれど、赤い顔をした大きな仏様に慈悲深い眼差しで見おろされた私は、感動と喜びで胸がいっぱいになりました。
母と私は、仏様に向かって右側の真下の位置から見上げるように見ていたのですが、仏様は横を向いて少し首を傾げながら私たちを見てくださいました。 かすかに微笑んでいました。
ところで、この夢ではちょっと笑える部分がありました。
夢の中の阿弥陀如来は寺院の境内にあるのですが、入り口付近で係りの人に拝観料1ドルを支払うように言われました。
財布を取り出して中を見てみると5ドル札が二枚だけ。
私はお釣りをもらおうか、5ドル支払って4ドルはお布施という事にしようかと
しばらく迷いました。
夢の中でも器量が小さい自分が可笑しくなりました。
拝観料のシーンは、脳科学で言う「付加された想像」の部分だと思います(笑)。
さて、このパワフルな夢を見た後、二つの疑問が湧いてきました。
● 阿弥陀如来なのに何故観音様(観世音菩薩)みたいに見えたのだろう。
● 赤い色は何を意味しているのだろう。
夢の内容をしっかり覚えているうちに調べてみようと思い、すぐに調べてみました。
その結果に震えました。
赤い阿弥陀如来について調べたところ、次の事がわかったからです。
密教式の阿弥陀如来のうち、紅玻璃色阿弥陀如来(ぐはりしきあみだにょらい)と呼ばれるものは髷を高く結い上げて宝冠を戴き体色が赤いのが特徴である。主に真言宗で伝承される。(Wikipedia より)
この部分を読んだ時は鳥肌が立ちました。
この記述で私の二つ疑問が全て解き明かされたからです。
実は、私の実家の仏教の宗派は真言崇なのです。
母が ”赤い阿弥陀如来”と呼んでいたのは、真言宗の阿弥陀様である、紅玻璃色阿弥陀如来(ぐはりしきあみだにょらい) であった事がわかりました。
観音様(菩薩)の様に見えたのは、この阿弥陀如来が髪を結い上げていたからだったのです!
さらに調べてみると、赤色は仏様の慈悲を表すという事がわかりました。
ところで真言密教では、五つの智慧(ちえ)を五体にあてはめており、それを五智如来(ごちにょらい)と呼んでいます。
宇宙そのものである大日如来という仏様がその中心になっています。「大日」は宇宙全体のすべてを遍く照らすという意味だそうです。
(仏教における智慧については後で説明します)
五智如来の他の四体は、阿閦如来(あしゅくにょらい)、宝生如来(ほうしょうにょらい)、阿弥陀如来、不空成就如来( ふくうじょうじゅにょらい)で、それぞれ、東西南北の極楽宇宙を治めています。
阿弥陀如来は西方の極楽世界を主催する仏様だったのですね。
上の絵の左から二番目の赤い仏様が阿弥陀如来(紅玻璃色阿弥陀如来(ぐはりしきあみだにょらい)です。
阿弥陀様がいる場所は、地球から33億光年はなれた宇宙で、そこに住む人々は、なんの苦しみもなく、ただいろいろな楽しみだけを受けているそうです。
「赤い阿弥陀様を見に行こう」と夢の中で私を誘った母は、宇宙の西方の、途方もなく遠方の世界に住んでいる事が今回私が見た夢によってわかりました。
33億光年…..。
溜息が出ました。
そして、何故夢とあの世がつながっているのかもわかりました。
光でも33億年もかかるような場所には行けるはずなどないですから。
夢というのは、遙か彼方を訪ねる時の瞬間移動装置のような物なのですね、きっと。
母がそんな遠い所にいるのかと思うと悲しくもなりましたが、もっと頻繁に夢の中で母を訪ねればいいのです!
私の考えでは、「人間の体の中の心や意識」は、夢を見ている間だけ瞬間移動出来るのだと信じています。 瞬間移動は、この世とあの世が同時に存在する宇宙の中の「森羅万象」の一つなのだと思っています。
物が落ちる ”万有引力” とさして変わらない、あたりまえの現象の一つなのだと私は思っています。
何をバカみたいな事を言っているの?と思う人が殆どでしょうが、大切な人を亡くした人で同じ体験をした人は多いはずです。
それにしても、母がなんの苦しみもなく、楽しみだけの世界にいると知って安心しました。
母はもう病気じゃないのです。そして毎日が楽しいのですね。
あの世の母は毎日をどう過ごしているのでしょう。どんな楽しい事をしているのでしょう。
母の事だから、楽しみながらも弟や私の心配ばかりしているかもしれません。
母があの世でどう暮らしているのかは、今度また夢の中で確かめて来ようと思います。
33億光年の彼方まで瞬間移動して来ます!
ところで、植物の名前は くちなし だと私に教えてくれた声の主は多分母だと思います。
母の趣味はガーデニングでしたので植物の名前に精通していました。
この世では会えない母ですが、いつも母に助けられて日々を過ごしています。
お母さん、 I love you.
追記1:仏教における智慧について:仏教学者の小川一乗さんによると、仏教における智慧とは、
「すべての存在は縁によって起こっているもの(縁起)であり、相互に関係しあって存在しているのであるから、関係性を抜きにして独自に存在しえないもの(無我)である。私たちは、自分を「私」という確かな存在であると思いこんでいるが、確かな「私」などはなく、すべての存在は独自には存在しえない(一切は空である)と見通すのが知恵である。」
追記2:実は私はクリスチャンなのですが、”宇宙そのものである大日如来” と “神” は同一の存在であるような気がして来ました。