母の「きゃらぶき事件」から学んだこと

きゃらぶきは母の大好物。

(※魚貝類や野菜類をしょうゆで佃煮のように煮るものをきゃら煮というが、きゃらぶきは、フキの茎をきゃら煮風に煮たもの)

きゃらぶきという言葉でいつも思い出す事件がある。 今日はその事について書いてみようと思う。


あれは私が大学二年の時。1979年の10月。

台風20号が日本列島を縦断し、全国に被害をもたらした。埼玉県南東部にある私の実家のあたりも台風が通過した。

台風の影響で大学の授業が全て休講になったので、私は早目に帰宅した。

母は茶の間にいることが多かったので、すぐに茶の間に向かい、「ただいま~。台風すごいね!」と声をかけたと同時に目に飛び込んで来た光景に驚愕した。

私道に面した茶の間の窓ガラスが派手に割れており、畳の上にガラスの破片が散乱している。

茶の間の畳の上にはガラスの破片だけではなく、なんと巨大な丸太がゴロンと転がっていた。

台風による暴風で丸太がすっ飛んで来て窓ガラスを割ったのだろうと推測。

そして、何故か私道を挟んだお向かいさんのお婆ちゃんが母と一緒にガラスの破片を一生懸命に拾っていた。(私はお婆ちゃんと呼んでましたが、血縁関係はありません。お向かいの住人です)

「お向かいのお婆ちゃんが片付けの手伝いに来てくれたのね。なんて親切な!」

しかし、何で丸太が?

それは折れた枝や木の破片ではなく、紛れもなく「丸太」だった。

ガラスの破片を拾っている母を見てみると、ちょっと怒ったような顔をしている。

そして、お向かいのお婆ちゃんに「死ぬとこだったわ。これからは十分に気を付けてくださいね。」と文句を言ってる。

親切に手伝いに来てくれたお婆ちゃんに何故母はそんなひどい事を言っているのだろうか。

私はわけがわからなくなった。

後で母から事情を聞いたところ、こういう事だった。以下は母の言葉の再現。


「テレビで台風情報を見ながら、きゃらぶきをおかずにお昼ごはんを食べたんだけどね。 そうしたらいきなり窓ガラスが割れて巨大な丸太が家の中に突っ込んで来て、調度私の真横に着地したの。怖かったわ~。座っていた場所によっては死んでたかもしれない。

その丸太なんだけど、理由はわからないけどお向かいのお婆ちゃんの家の玄関の庇(ひさし)の上に乗ってたものなの。何で丸太を屋根の上なんかに乗せたのかしらねえ。前からずっと危ないなって思ってたんだけど言えずにいたのよ。」

母はお向かいさんに「お宅の屋根の丸太がうちのガラス窓に突っ込んで、危うく死ぬところだった!」と言いに行ったそう。

お向かいのお婆ちゃんが母と一緒にガラスの破片を拾っていた理由や、母が怒っていた理由はそういう事だったのだ。


後になってこの事件を思い出した時に、「きゃらぶきをおかずにしてごはんと食べていた」と言った母の言葉が可笑しくて仕方無かった。

「昼ごはんを食べていた時に」と言っても良かったのに、わざわざ ”きゃらぶきを食べていた” と言った母を、とても愛おしく感じた。

関東はいつも比較的台風の被害が小さいので、母は大好きなきゃらぶきを食べながらのんびりテレビで台風情報を見ていたのだと思う。

しかし、大好きなきゃらぶきごはんの昼食の場が修羅場のようになってしまうなんて。

以降、この事件を私は「きゃらぶき事件」と呼んでいる。

きゃらぶき事件から学んだことは、

1.屋根の上に丸太を乗せてはいけない

2.嵐の時は窓際にいてはいけない

※丸太のみならず、漬物石等、落ちたり風で飛ばされたら危険なものは全てダメですよ。

私はどこにいる?

遠い過去を思い出す時、自分自身はどこにいますか?

意味がわかりにくいですよね。 説明します。

私の場合、遠い過去を思い出す時、その時の場面が映像として蘇るのですが、その中に自分自身が見える事があります。まるで自分が主人公の映画を見ているように。

自分自身が見えずに、自分がその映像の一部になって、自分の目で周りの景色を見ている時もあります。

この違いは何なのでしょうか?

そして、亡くなった母の事を思い出す時は、なぜか自分自身が母の内側に入り込み、母が見ている景色や、母と喋っている私自身が見えるのです。

母が亡くなる瞬間、一瞬ではありますが母は目を大きく開いて私を見て、そして一度だけ瞬きをし、その後目を閉じて永遠の眠りにつきました。

あの一瞬で母は何を見たのでしょう。何を考えていたのでしょう。

人は死ぬ直前に走馬灯のように過去の記憶が蘇ると言いますが、母はあの一瞬、母と私が共有したあらゆる記憶を思い出していたのでしょうか。

そして、あの瞬きは何の合図だったのでしょう。

母が亡くなって以来、その事を繰り返し思い出して来ました。

母の想いを知りたい…そう思いづつけたせいで、母の事を思い出す時は、母の中に入り込んで私自身を見ているような気がするのかもしれません。

母の事を思い出す時、想像ではありますが母のその時々の私への想いが母の声で聞こえて来るのです。

心配ばかりかけた娘なので、その度に切なくなります。

お母さん、今の私が見えますか? 少しはマシになりましたよ。

憧れるだけで絶対に私には出来ない丁寧な暮らし

なんでも手間暇かける丁寧な暮らしっていうのに憧れはするけど、実際にやるのは私には無理だと思う。 丁寧な暮らしをしている人のブログや記事を読んでみると、「エキセントリックな丁寧さ」の場合が多いんですよねえ。で、みなさん案外自分勝手で、家族をも巻き込んでいる。

ここ数日間ちょっと気になっている「ベニシアさん」の動画をYoutubeで観てみました。 彼女が夫君とハイキングに行った時のエピソードで、思い出の場所で弁当を食べるシーンがありました。

「おお!麦茶とおにぎりが出てくるのかな?」と思って見ていたら、手作りのバナナブレッドにバター、飲み物は生姜とレモンと何とかかが入っている飲み物だったんです。

彼女の夫君がそれが好きなら別にいいんのですが。 あれこれ言うのは余計なお世話かもしれないのですが。 でも言います。エキセントリックな人は自分が作る食べ物や飲み物 —- 要するにライフスタイル —– を家族も好むものだ、と思っているんじゃないでしょうか。

ベニシアさんの夫君は数年前に浮気をして家出をしたらしく、ベニシアさんファンにとってはとんでもない奴だと思われているみたいですが、ハイキングの場面を見る限り、とっても優しい方です。番組用の演技かもしれないですけど。

私だったらこんな会話をしそうです。

私:「えー!おにぎりじゃないの? それに、麦茶の方が美味しいのに。」
ベニシアさん:「何で? これが一番美味しいのよ。 不満があるなら自分で作れば」
私:「じゃあ次回はコンビニでおにぎりと烏龍茶を買ってから行く」
ベニシアさん:「自分で作った方が美味しいし、添加物とか無いから健康ですよ」

丁寧な暮らしも、行き過ぎると道楽みたいになってしまうんじゃないでしょうか。

友人(男性)がものすごく綺麗好きなんです。家の中は隅々まで綺麗に掃除してあって、リビングのコーヒーテーブルの上には数冊の雑誌が扇を広げたようなカタチに置いてありました。 住宅展示場のモデルルームみたいな感じです。

その雑誌の一冊を手に取ってパラパラとめくり、無造作にテーブルの上に戻したら、彼はそれをちゃんと見てて、すぐに元の通りに置き直したんです。 彼の整理整頓好きは家族どころじゃなくて、友人まで巻き込んでますね。(というか、私がちゃんと扇状になるように戻すべきでしたね。自分の家じゃないんだから)


母は家事はほどほどに、ストレスにならない程度にやってました。 植物が好きで、自分好みの「日本庭園風の庭」を作っていましたが、年に数回はシルバー人材派遣所の元植木屋さんにやってもらってました。 こだわりはあるけれど、自分で全てやるほどのこだわりはなかったように思えます。

夕食後の後片付けも、疲れてたら洗い物は翌朝にする…って感じでした。(私が手伝ってやってあげればよかったですね。悪い娘でした)

母自身がそんな風なので、母は他人にも厳しくないんです。 客がよく、「居心地がいい」と言ってくれたのはそのせいかもしれません。不潔ではないけど、何となく雑然としている家だったので。

話が飛びましたが、

丁寧な生活を徹底してやり過ぎると、何らかの理由でそれが出来ない日があったりすると、相当なストレスになるような気がするのですが、どうでしょう。

うん、余計なお世話ですね。

でも、「それを言っちゃあおしまいよ」という名言があるように、

余計なお世話だなんて言っちゃあおしまいよ! 感じた事を発信していきたいと思っています。


追記:家族で日帰り旅行に出かけると、母はいつもおにぎりとニンニクと生姜をたっぷり効かせた鳥の唐揚げを作ってくれました。 これだけは手抜きせず、早起きして作ってくれました。 最高に美味しかったです。そうそう、缶入りウインナーも定番でした。

ところで、我が家の定番おにぎりは、
缶チキン、ローズマリー、バジル、塩コショウ、七味唐辛子、マヨ、バターで炊いたご飯で作るおにぎりです。 私は梅干しが一番好きですが。




母がたこ焼きに切れた話。母の思いに涙。

嫌な記憶なのに、いつまでも鮮明に覚えていて、消したくても消えない記憶ってありますよね。 トラウマとまでは行かないけれど、思い出すたびにわずかばかり落ち込んでしまうような記憶。

記憶のポケットというのは、いきなり開くからタチが悪い。庭でのどかに植物と戯れている穏やかな時間に急に開いたりするので、楽しい気分が急にうら悲しい気分になってしまったりする。

最近頻繁に蘇る記憶がある。

父と、今は亡き母と3人でお花見をした時の事。

当時母は、背骨にできた腫瘍のせいで下半身が麻痺し、歩く事ができなかった。父と二人で交互に母の車椅子を押しながら、春の訪れと桜を満喫していた。

昼を少し過ぎたあたりで母が何か食べたいと言い、車椅子を押していた父を振り返った。
すると父は、「そうだな。じゃあ、たこ焼きでも食べようか。」と返事をしたのだ。

母の穏やかだった表情はみるみると曇り、さらに般若のような形相になった。

私はそれがなぜだかわかっていた。

たこ焼きのせいじゃない。

母からよく愚痴を聞かされていたのだが、父は自分のきょうだいや親戚には過剰と言えるほど親切でお金も惜しみなく使う。 格好良いところを見せようとして高級レストランに連れて行き、好きなものを好きなだけ注文させる。ところが、母や母方の親戚には限りなく冷たく愛想もない。お金も使いたがらない。

母はそれはずっと我慢し続けていた。

それがとうとう爆発したのだ。

母は高校時代ソフトボール部のキャプテンで、スポーツや山歩きが何よりも好きだった。病気になり歩くこともままならぬ体になった母。

母は父にこう言って欲しかったのだと思う。

「じゃ、鰻か天ぷらでも食べに行こうか」と。

母はこの時、自分の命があと僅かなのがわかっていた。

母としては、そんな時までケチる父が許せなかったのだと思う。

母に何を食べたいのか聞いたら、「デニーズのハンバーグ定食」と。

特上の鰻が食べたいって言えばいいのに…。何なら「時価」って書いてあるメニューがあるようなレストランに行きたいと言えばいいのに。

こんな時まで気を遣って節約しようとする母を思い、心の中で泣いた。

3人でデニーズに行き、3人で同じメニューのハンバーグ定食を食べた。
美味しかった。

母は「お腹いっぱいで歩けない」と冗談を言って私たちを笑わせた。

最後は3人で皆笑顔になったけれど、この思い出は私にとってちっとも楽しい思い出ではない。

思い出すたびに胸がチクリと痛む。

(でもたこ焼きは食べたい!)

急にバリ島風の部屋作り

母の事を思い出すたびに、母と二人で行ったバリ島旅行を思い出します。母と二人だけで行った旅行はそれが最後でした。

母が亡くなってからしばらくは、旅行の事を思い出したり写真を見る事さえ辛かったのですが、最近は写真を見る事が出来るようになったし、またバリ島に行って母と行った場所を訪れたいと思うようになりました。

そんなわけで、先月急に思い立って自分の部屋をバリ島風にしようと、家具を買いました。 生来ケチな気質なので、家具を買うなんてもったいないと思い続け、頂き物の中古家具とプラスチックケースを使用していました。

ベッドリネン(ベッド全般にかかわる布製品。敷きシーツ、掛けシーツ、ベッドカバーなどなど)にも興味がなく、ベッドを飾るという発想がゼロでした。

ところがなぜか急に先月「部屋をバリ島にしよう!」と思い立ち、この一か月であっという間に部屋をバリ島(風)に模様替えしました。

インドネシア製の家具は高そうなので、IKEAとWaiFair の家具をインドネシア風に見立てる事に。 なんでも思い込みが肝心。

購入したのは、①IKEAの黒の引き出し箪笥、②IKEAのキャビネット型引き出し箪笥、③Wayfairの円柱型のジュエリー箪笥。 ジュエリー箪笥はビクトリアスタイル(もどき)の小引き出し箪笥ですが、これもインドネシア風だと思い込む事にしました。そして、④壁掛け用に木彫りのパネルをEtsyから購入。タイ製です。 もともとベッドの足元に置いていたトランク型箪笥は一応本物の漆塗り。それも見ようによってはバリ島風に見えなくもない。

こんな感じにアレンジしました。


ベッドリネンは、バティック風のコットンのキルトブランケットをアマゾンで購入し、ベッドカバーとして使用。

バティック風のベッドカバー。上で寛いでいるのはハーシー。偶然にもバリニーズ。
黒い引き出し箪笥はIKEA から購入。隣の円柱形の引き出し箪笥はWayfairから購入。

IKEAの引き出し箪笥の上には数年前に買ったトールペインティングの小引き出しをおきました(Rossというディスカウント雑貨屋で購入)。その小引き出しの三方を囲むように木彫りの置物を置きました。テッペンにはバリ島で買った神鳥ガルーダ。左側は母からもらった木彫りの観音様。バリ島で宿泊したホテルのロビーに飾ってあったものとそっくりです。右側は弟からもらった木彫りの線香入れ(インド製)。

ガルーダ様に守られているイーライ
仏を背負っている神鳥ガルーダ

キャビネット型引き出し箪笥の上には彫刻が施してある木製の小物入れを置きました。母と一緒に行ったディスカウントショップ(日本)で購入したものです。多分日本製ですが、バリ製っぽくも見えます😊

花の彫刻が施してある木製の小物入れ


一か月で一気に揃えてしまいました!

これでバリ島風部屋作りはほぼ完成。 残るは姿見。

姿見を購入した際はまたブログに書きます!

おまけ)
我が家のお姫さま、トラ子ちゃんはジュエリー箪笥が好き❤

夢はあの世とこの世をつなぐ場所。あの世を信じている人へ。

不思議な夢を見た後に、その夢の意味を解き明かしたいと思った事は誰にでもある経験だと思います。しかしながら、悔しいことに数日すると忘れてしまう場合が多いのではないでしょうか。

数日覚えていられればまだマシです。目覚めたと同時に忘れてしまう夢が殆どだと思うのです。夢は本当に儚いですね。

脳科学では、夢は脳に蓄積された記憶を結合させて作り出された現象で、そこに想像を付加したものだと説明しています。

私が見る夢の殆どは、脳科学上の夢の概念と一致するのですが、今までに二つだけ奇妙で記憶とは結びつかない面白い夢を見たことがあります。

その夢は、私の脳に何かが働きかけて、私に “見るように仕向けた” としか思えないような夢です。

最初の夢では、疑問に思っていた事を夢が回答してくれました。

二つ目はメッセージ性の強い夢で、特に知りたいと思っていた事ではな無いのに、夢が  ”ある事” を教えてくれました。

どんな夢なのか紹介しますね。


1.植物の名前

今から9年ほど前のクリスマスに、友人から鉢植えの植物を2ついただきました。 いただいた時に彼に植物の名前を聞いたのですが、

「ごめん、名前忘れちゃった。花が咲いたらきっとわかるよ。」と言われました。

当時私はまだガーデニングの趣味がありませんでしたので、植物に関する知識はほぼゼロ。花を見るのは好きでしたが、植物を育てる事には興味がありませんでしたので、
名前を調べる努力はしませんでした。

どんな花が咲くのだろうと思いながらも植物の名前を知らないまま、毎日水遣りだけをしていました。

鉢植えをいただいてから2か月ほど経った頃に不思議な夢を見ました。 夢の中で誰かが
「あの植物の名前は ”くちなし” ですよ。」と言ったのです。

くちなしという花の名前は知っていましたが、実際に見た事は無いし、どんな花なのかも知りませんでした。

夢の中の声に導かれて、”くちなし” をパソコンで検索してみると、私がいただいた植物の葉とそっくりな画像が次々と現れました。 その画像の中の花は皆白く可憐でした。

さて6月になり、待ちに待った花が咲きました。
それは正に私が写真で見た白くて可憐な花 ”くちなし”だったのです。 びっくりしました。

夢の不思議…と言うよりも、この世の不思議を深く感じました。


2.赤い阿弥陀如来

この夢は2年前、お彼岸の少し前に見た夢です。

夢の中で私は、2008年の夏に亡くなった母と一緒に旅行をしていました。 団体ツアー旅行でした。

母と私はツアーグループの人達に「ショッピングセンターに行きましょう。」と誘われたのですが、母は「私は赤い阿弥陀如来を見に行きたいので、ショッピングには行かないわ。」と答えました。

そして私に「礼子はどうする?」といつもの口調で聞きました。
ショッピングにも魅かれましたが、母と一緒に赤い阿弥陀様を見に行くことにしました。

ところで私は、夢はあの世とこの世とをつないでいる場所だと思っています。
あの世のルールで母はこの世に姿を現す事が出来ないので、夢の中で私が母に会った時は、私があの世の母を訪ねている時だと思っています。

この世の住人である私があの世を訪問出来るのは、夢の中でのみ可能だと真剣に信じています。

さて、母と一緒に見た阿弥陀如来像は、鎌倉の大仏さまと同じぐらいの巨大な坐像で、
母と私を慈悲深い目で見おろしていました。その顔は真っ赤な色をしていました。

母は「阿弥陀如来」と言いましたが、私たちが見た仏様は観音様(観世音菩薩)の様に見えました。私は心の中で「うーん、これは阿弥陀様じゃなくて観音様じゃないかしら。」と思っていました。

そう思った理由は、仏像の髪型が鎌倉の大仏の様なパンチパーマでは無く、高く結い上げられていたからです。 私の中では、鎌倉の大仏様が阿弥陀如来の代表的存在になっていたのです。

阿弥陀様には見えないけれど、赤い顔をした大きな仏様に慈悲深い眼差しで見おろされた私は、感動と喜びで胸がいっぱいになりました。

母と私は、仏様に向かって右側の真下の位置から見上げるように見ていたのですが、仏様は横を向いて少し首を傾げながら私たちを見てくださいました。 かすかに微笑んでいました。

ところで、この夢ではちょっと笑える部分がありました。

夢の中の阿弥陀如来は寺院の境内にあるのですが、入り口付近で係りの人に拝観料1ドルを支払うように言われました。

財布を取り出して中を見てみると5ドル札が二枚だけ。
私はお釣りをもらおうか、5ドル支払って4ドルはお布施という事にしようかと
しばらく迷いました。

夢の中でも器量が小さい自分が可笑しくなりました。

拝観料のシーンは、脳科学で言う「付加された想像」の部分だと思います(笑)。

さて、このパワフルな夢を見た後、二つの疑問が湧いてきました。

● 阿弥陀如来なのに何故観音様(観世音菩薩)みたいに見えたのだろう。
● 赤い色は何を意味しているのだろう。

夢の内容をしっかり覚えているうちに調べてみようと思い、すぐに調べてみました。

その結果に震えました。

赤い阿弥陀如来について調べたところ、次の事がわかったからです。

密教式の阿弥陀如来のうち、紅玻璃色阿弥陀如来(ぐはりしきあみだにょらい)と呼ばれるものは髷を高く結い上げて宝冠を戴き体色が赤いのが特徴である。主に真言宗で伝承される。(Wikipedia より)

この部分を読んだ時は鳥肌が立ちました。

この記述で私の二つ疑問が全て解き明かされたからです。

実は、私の実家の仏教の宗派は真言崇なのです。

母が ”赤い阿弥陀如来”と呼んでいたのは、真言宗の阿弥陀様である、紅玻璃色阿弥陀如来(ぐはりしきあみだにょらい) であった事がわかりました


観音様(菩薩)の様に見えたのは、この阿弥陀如来が髪を結い上げていたからだったのです!

さらに調べてみると、赤色は仏様の慈悲を表すという事がわかりました。

ところで真言密教では、五つの智慧(ちえ)を五体にあてはめており、それを五智如来(ごちにょらい)と呼んでいます。

宇宙そのものである大日如来という仏様がその中心になっています。「大日」は宇宙全体のすべてを遍く照らすという意味だそうです。

(仏教における智慧については後で説明します)

五智如来の他の四体は、阿閦如来(あしゅくにょらい)、宝生如来(ほうしょうにょらい)、阿弥陀如来、不空成就如来( ふくうじょうじゅにょらい)で、それぞれ、東西南北の極楽宇宙を治めています。

阿弥陀如来は西方の極楽世界を主催する仏様だったのですね。

上の絵の左から二番目の赤い仏様が阿弥陀如来(紅玻璃色阿弥陀如来(ぐはりしきあみだにょらい)です。

阿弥陀様がいる場所は、地球から33億光年はなれた宇宙で、そこに住む人々は、なんの苦しみもなく、ただいろいろな楽しみだけを受けているそうです。

「赤い阿弥陀様を見に行こう」と夢の中で私を誘った母は、宇宙の西方の、途方もなく遠方の世界に住んでいる事が今回私が見た夢によってわかりました。

33億光年…..。

溜息が出ました。

そして、何故夢とあの世がつながっているのかもわかりました。
光でも33億年もかかるような場所には行けるはずなどないですから。
夢というのは、遙か彼方を訪ねる時の瞬間移動装置のような物なのですね、きっと。

母がそんな遠い所にいるのかと思うと悲しくもなりましたが、もっと頻繁に夢の中で母を訪ねればいいのです!

私の考えでは、「人間の体の中の心や意識」は、夢を見ている間だけ瞬間移動出来るのだと信じています。 瞬間移動は、この世とあの世が同時に存在する宇宙の中の「森羅万象」の一つなのだと思っています。

物が落ちる ”万有引力” とさして変わらない、あたりまえの現象の一つなのだと私は思っています。

何をバカみたいな事を言っているの?と思う人が殆どでしょうが、大切な人を亡くした人で同じ体験をした人は多いはずです。

それにしても、母がなんの苦しみもなく、楽しみだけの世界にいると知って安心しました。

母はもう病気じゃないのです。そして毎日が楽しいのですね。
あの世の母は毎日をどう過ごしているのでしょう。どんな楽しい事をしているのでしょう。

母の事だから、楽しみながらも弟や私の心配ばかりしているかもしれません。

母があの世でどう暮らしているのかは、今度また夢の中で確かめて来ようと思います。
33億光年の彼方まで瞬間移動して来ます!

ところで、植物の名前は くちなし だと私に教えてくれた声の主は多分母だと思います。
母の趣味はガーデニングでしたので植物の名前に精通していました。

この世では会えない母ですが、いつも母に助けられて日々を過ごしています。

お母さん、 I love you.


追記1:仏教における智慧について:仏教学者の小川一乗さんによると、仏教における智慧とは、

「すべての存在は縁によって起こっているもの(縁起)であり、相互に関係しあって存在しているのであるから、関係性を抜きにして独自に存在しえないもの(無我)である。私たちは、自分を「私」という確かな存在であると思いこんでいるが、確かな「私」などはなく、すべての存在は独自には存在しえない(一切は空である)と見通すのが知恵である。」

追記2:実は私はクリスチャンなのですが、”宇宙そのものである大日如来” と “神” は同一の存在であるような気がして来ました。

👼天国の母から守られている

一週間ほど前の出来事。

夫が急に断捨離を始めました。 ずっと「やるやる」と言いながら放置していたのですが、突如何かに取り憑かれたように始めたのです。

夫はドイツ製のビヤマグを収集していて、キッチンのコーナーキャビネットにコレクションを収納していました。 断捨離の手始めに、コーナーキャビネットのビヤマグの整理をしようと決めたようです。

年代物のアンティークに近い物やビンテージ品が続々と現れました。その中に、まるでスポットライトを当てたように「違う物」が現れたのです。

なんと、母が何年も前に日本から送ってくれた、花模様の急須でした。花は桜です。

夫に、「こんな物が出て来たけど、リサイクルショップに持って行く?」と聞かれた時、心臓が止まるかと思うほどびっくりしました。

なぜなら、その急須は私がずっと探していた急須だったからです。

夫がキャビネットに入れたのか、私が入れたのか。それとも急須が勝手にキャビネットに入ってしまったのか?

調度その頃インターネットのバーチャル空間で嫌な事があり、毎日どんよりとした気持ちで過ごしていたのですが、久々に「嬉しい」という感情が湧き上がって来ました。

「喜び」「感動」「幸福」「楽しさ」…..あらゆるポジティブな感情があふれて来たのです。

すぐにわかりました。 天国の母からのメッセージだと。

不思議なのですが、母が生きていた頃、私が何かに悩んでいると電話がかかって来たのです。そして、「何か困った事があるんじゃない?」と聞いてくれたのです。

天国の母と直接に会話をする事は出来ませんが、母は急須を通して私に「大丈夫?」とメッセージをくれたのです。

コーナーキャビネットで急須はじっと出番を待っていたのでしょうか?

母はお店でこの急須を選びながら、私の事を考えていてくれたのだと思います。

「あら可愛い急須。礼子が気に入りそうだわ。送ってあげよう!」

母があれこれ急須を選んでいるシーンを想像して涙があふれました。 このブログを書きながらも涙があふれます。

さて夫の断捨離活動ですが、この翌日からパタリと途絶えました(笑)

天国から夫にテレパシーを送り、急須を発見させた母の強い思い。

私は母から守られています。

母が恋しい。



日々のちょっとした気分の凹み

数週間前に購入したキッチン用ハンドソープの補充液の香りがどうしても好きになれず、手を洗う度に、僅かながらではありますが気分が凹んでいました。すぐに忘れてしまう程度の凹みなので、ずっとそのハンドソープを使っていました。

キッチンの収納戸棚の一つに、電球類を入れている場所があります。背が低い私には、かなり高い位置にあります。最近補充用の電球を購入して棚に収納したのですが、スペースが狭過ぎてちゃんと収まりきらず、扉がわずかに開いています。今でも少し開いたままになっています。 換気扇のスイッチを入れる度に棚が少し開いているのが見え、気分が凹みます。


ハンドソープの補充液の香りにつきまとう気分の凹みの度合いは、わずかに開いている戸棚の扉ほどのものです。大した凹みではありませんが、毎回一瞬気になる程度凹みます。

さて、ハンドソープ補充液はどんな香りかと言うと、

「ぬか床を素手でかき回した後水洗いしたばかりの母の手の匂い」です。

どう表現すればいいでしょうか。 すっぱ系だけど、柑橘系のような爽やかさがない
悪臭ではないけれど「イケてない匂い」とでも言いましょうか。

ぬか漬けは大好きで、子供の頃キュウリやナスのぬか漬けを、切らずに丸ごと母から手渡され、ポリポリさくさくと、おやつ替わりによく食べました。

きゅうりやナスから漂うぬか味噌の匂いは大好きでしたが、ぬか味噌臭の母の手は苦手でした。 母に、「手についたぬか味噌の匂いが嫌いだ」とは一度も言った事はありませんが、母から漂って来る様々な香り(例えば化粧品やヘアスプレー)の中で唯一苦手な匂いで、密かにそれを疎ましく思っていました。

アメリカ人の夫は、ぬか漬けは知っていても ”ぬか床をかき混ぜた後の手の匂い” を知らないので、「ハンドソープ補充液の香り」と「手についた糠の臭い」の共通性については話しても無駄でしょう。

先日、買い物に行った時についに新しい補充液を購入しました!

ココナツ+ジンジャーの香りです。
爽やかでイケている香りです(^^)

追記:恥ずかしながら、ぬか漬けを自分で作った事がありません…..。

母の「きゃらぶき事件」。丸太から学んだこと。

きゃらぶきは母の大好物。

(※魚貝類や野菜類をしょうゆで佃煮のように煮るものをきゃら煮というが、きゃらぶきは、フキの茎をきゃら煮風に煮たもの)

きゃらぶきという言葉でいつも思い出す事件がある。 今日はその事について書いてみようと思う。
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あれは私が大学二年の秋。

巨大な台風が日本列島を縦断し、全国に被害をもたらした。関東の私の実家付近も台風が通過した。

台風の影響で大学の授業が全て休講になったので、私は早目に帰宅した。

母は茶の間にいる事が多かったので、すぐに茶の間に向かい、「ただいま~。台風すごいね!」と声をかけたと同時に目に飛び込んで来た光景に驚愕した。

私道に面した茶の間の窓ガラスが派手に割れており、畳の上にガラスの破片が散乱している。

茶の間の畳の上にはガラスの破片だけではなく、なんと巨大な丸太がゴロンと転がっていた。

台風による暴風で丸太がすっ飛んで来て窓ガラスを割ったのだろうと推測。

そして、次に私の目に飛び込んできた光景は….。
私道を挟んだお向かいさんのお婆ちゃんが何故か母と一緒にガラスの破片を一生懸命に拾っていたのだった。(私はお婆ちゃんと呼んでましたが、血縁関係はありません。お向かいの住人です)

「お向かいのお婆ちゃんが片付けの手伝いに来てくれたのね。なんて親切な!」
そう思いました。

しかし、何で丸太が?

それは折れた枝や木の破片ではなく、紛れもなく「丸太」だった。

ガラスの破片を拾っている母を見てみると、ちょっと怒ったような顔をしている。

そして、お向かいのお婆ちゃんに「死ぬとこだったわ。これからは十分に気を付けてくださいね。」と文句を言ってる。

親切にも手伝いに来てくれたお婆ちゃんに何故母はそんなひどい事を言っているのだろうか。

私はわけがわからなくなった。

後で母から事情を聞いたところ、こういう事だった。以下は母の言葉の再現。

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「テレビで台風情報を見ながら、きゃらぶきをおかずにお昼ごはんを食べたんだけどね。 そうしたらいきなり窓ガラスが割れて巨大な丸太が家の中に突っ込んで来て、調度私の真横に着地したの。怖かったわ~。座っていた場所によっては死んでたかもしれない。

その丸太なんだけど、理由はわからないけどお向かいのお婆ちゃんの家の玄関の庇(ひさし)の上に乗ってたものなの。何で丸太を屋根の上なんかに乗せたのかしらねえ。前からずっと危ないなって思ってたんだけど言えずにいたのよ。」

母はお向かいさんに「お宅の屋根の丸太がうちのガラス窓に突っ込んで、危うく死ぬところだった!」と言いに行ったそう。

お向かいのお婆ちゃんが母と一緒にガラスの破片を拾っていた理由や、母が怒っていた理由はそういう事だったのだ。

後になってこの事件を思い出した時に、「きゃらぶきをおかずにしてごはんと食べていた」と言った母の言葉が可笑しくて仕方無かった。

「昼ごはんを食べていた時に」と言っても良かったのに、わざわざ ”きゃらぶきを食べていた” と言った母を、とても愛おしく感じた。

関東はいつも比較的台風の被害が小さいので、母は大好きなきゃらぶきを食べながらのんびりテレビで台風情報を見ていたのだと思う。

しかし、大好きなきゃらぶきごはんの昼食の場が修羅場のようになってしまうなんて。

以降、この事件を私は「きゃらぶき事件」と呼んでいる。

きゃらぶき事件から学んだことは、

1.屋根の上に丸太を乗せてはいけない

2.嵐の時は窓際にいてはいけない

※丸太のみならず、漬物石等、落ちたり風で飛ばされたら危険なものは全てダメですよ?

あの世の母に嫉妬

今日は私たち夫婦の結婚記念日です。

今朝、あの世の母が夢に出て来て「私、結婚する事になったのよ」と私に言いました。

あの世では皆が若い頃の自分に戻るとは聞いた事がありましたが、この世と同じに恋愛したり結婚したりするというのは聞いた事がありませんでしたのでびっくりしました。

母の温もりをすぐ近くに感じる事が出来て、気持ちの良い一日のスタートになりました。

ただ…..。

どんな人と結婚するのか気になります。

そして、そのうち子供を産むのでしょうか?

娘が生まれるかも。

私以外の娘が?

嫉妬の気持ちが湧き起こりました。

でも、母の言葉を思い出しました。

私はアメリカに住んでいるのですが、弟家族と両親が旅行に行ったり、夕飯を一緒に食べたりしているのに嫉妬して、「うらやましい。寂しい。」と母に言った事があります。

母は、「一緒にいる事が出来ない人の事を一番考えるものなのよ」と私に言いました。

あの世で母に子供が出来ても、私の事を愛おしく思ってくれるのですね。

母が恋しい。